〜街角ドキュメンタリー〜
素人名言劇場
【素人名言_ドキュメントNo.1】
名前:吉村敦子さん/35歳(女性)
インタビュー日時:2016年10月、夕方4時ごろ
インタビュー場所:赤坂
ショートヘアにグレーのタートルニット、ホワイトパンツというボーイッシュな出でたちで20代にしか見えない吉村さんは、目鼻立ちははっきりとしたホラン千秋似の美人さん。カジュアルな服装だが、事務職に携わる会社員。はつらつとした雰囲気からは想像もできない壮絶なお話を聞くことができました。
◎最近身の回りで起きた印象的な出来事は?
出産です。
◎それはめでたいですね。いつ生まれたのですか?
ちょうど1年くらい前ですね。
◎何人目ですか?
3人目なんですけど、実は二人目の子を亡くしてて…。
◎それは大変でしたね。差しつかえがなければ詳しく教えてください。
お腹の子供に酸素や栄養がいかなくなったことが原因で、生まれてすぐに病院で亡くなってしまったんです。あと1日早く、胎動が少ないことに気づいていれば助かったのかもしれないということで、すごく後悔して苦しみました。産休後に職場に復帰して以前と同じように仕事をしていたんですけど、上司や同僚にも気をつかわせているような気がして、それがさらに辛くて。その当時は帰りの駅のホームでいつも泣いてばかりいました。
◎今はどうですか?
だいぶ良くなりました。ただ子供の前では頑張って泣かないようにしているんですが、どうしても涙が止まらなくなるときはあります。最初は我慢していたんですけど、保育園の先生が「お母さんのそのままの姿を見せても大丈夫ですよ。子供はわかってくれていますから」っておっしゃっていだいて、それでだいぶ楽にはなりました。先生がおっしゃる通り子供たちは理解してくれていると思います。とはいえあのときもっと早く病院に行っていればっていう後悔の念は今だにあります。まあ、これは一生あり続けるんだと思いますね。
◎つらい経験を経て、自身の中で変わったことはありますか?
もともと私は体育会系のさばさばとした性格で、妊娠してお腹が大きくてもぎりぎりまで会社に行くのは当然だと思っていて、体調的に多少きつくても時間をずらして出勤するような考えの持ち主だったんです。でも子供を亡くしたことを機に、やっぱり痛みやだるさって体から発している危険信号であることを痛感したので、これからはちゃんと自分の体の反応にしっかりと注意しなきゃいけないと思いました。
あと性格上、それまでは自分にも他人にも厳しかったのですが、今回の経験を通じて優しく接するようになりました。痛みや苦しみは人それぞれですし、外から見ただけではわからない、自分のものさしではかってはいけないですよね。それは子供を亡くして、自分が弱っているときにすごく感じました。
◎人生の分岐点に戻れるなら、当時の自分に何てアドバイスをしますか?
優先順位を間違えるなということですね。私はあのときに何で病院に行かずに無理して仕事をしちゃったんだろう、何で優先順位を間違えてしまったんだろうっていうことしかないです。前日から胎動の回数が少ないとは感じていたんですけど、当時の私は仕事を優先してしまい終業後に病院に行ってしまったので。少しでも早く病院に行っていればと思うと後悔しかないです。
◎次のお子さんの予定はあるんですか?
私はすごく欲しいんですけど、主人がやっぱり怖いみたいなんです。めったに泣かない人なんですけど、以前もう一人ほしいって話をしたら涙を流しながら「あんなに辛い思いはしたくない」って。彼なりに二人目を亡くしたときの辛さとか、私が毎日泣いている姿を見ていた日々が耐えられなかったみたいなんですよね。だから今回無事に生まれてきてくれたことには本当に喜んでくれました。
◎今後の人生で、一人の女性として望むことはありますか?
何もないです。とにかく子供が幸せに成長するのを見守りたいということだけですね。今の楽しみが子供のことしかないんです。あと、これは本当に偶然で本当に不思議なんですが、生まれた三男の誕生日と亡くなった次男の命日が同じ日なんです。性別も同じで、それは何だか救われた気がしますし運命も感じましたね。今はただ母として元気に育ってほしい、それだけが望みです。
吉村さんは、当時を思い出したのか、時おり声を詰まらせながらも丁寧にインタビューに応じてくれました。激動の時間を経た今、ようやく心の整理がついてきたのだそう。インタビュー後、上の子供のお迎えがあるので急がなきゃ、と足早に駅へと立ち去る嬉しそうな姿が印象的でした。